私は東日本大震災発生翌日の3月12日早朝から13日夕方まで、多賀城市内各所を歩き、被災状況を確認しカメラに収めました。被災者にはカメラを向けられませんでしたが…。これまで『多賀城民報』等で使ってきましたが、できうる限り掲載したいと思います。
2011年11月18日金曜日
宮内地区では津波は2階まで上がった(3月13日13:16)
応援の長野県の消防隊(3月12日15:48)
市役所でカメラのデータを空にし、また八幡にでかけた。多賀城橋の南側に長野県から応援に入った消防隊が待機していた。この時刻にここにいるということは、夜中に出てきたか!?「長野の救急隊のみなさんありがとう!」。
1階天井まで津波が。昼大代公民館南。(3月12日13:05)
貞山運河の堤防はえぐられ、平屋民家の軒先に車の最後尾がかかっている。津波が天井まで来たことを示している。大代公民館と橋本橋の間。設定の仕方だと思うが70枚でカメラは満杯になってしまった。停電中なのでパソコンにデータを移すことができない。自家発電施設のある市役所に持ち込み、取り込んだうえで私のメモリーに移してもらった。感謝!感謝!
津波は左岸堤防を乗り越え鶴ヶ谷を直撃した(3月12日11:42)
津波は、(下流から見て)砂押川が左に蛇行する鶴ヶ谷付近で左岸堤防を乗り越え、住宅地を直撃した。
バイクを置いてしばらく歩いたが、これ以上進むのは困難!多賀城橋にもどり、多賀城中学校、天真小学校、多賀城高校経由で産業道路におり、大代に。
バイクを置いてしばらく歩いたが、これ以上進むのは困難!多賀城橋にもどり、多賀城中学校、天真小学校、多賀城高校経由で産業道路におり、大代に。
小さな津波は何度もやってきた。(3月12日11:39)
砂押川左岸の鶴ヶ谷付近を、バイクを押しながら歩いている最中、小さな津波が何度もやってきた。不安になったが「もう大きな津波は来ない」と自分に言い聞かせながら取材を続けた。
対岸は地震と津波で崩れた砂押川右岸、桜木2丁目の堤防。
対岸は地震と津波で崩れた砂押川右岸、桜木2丁目の堤防。
2011年11月17日木曜日
大村武平さんの無事を確認!健気に頑張る椿に思わずシャッター…(3月12日10:40~10:56)
多賀城八幡の友人の安否を尋ねて見たものは…(3月12日9:00~10:00)
3月12日、真っ暗闇の夜が明けた。冷たいご飯を食べ、バイクで友人の安否確認に。昨夜のみぞれがウソのように晴れあがっていた。舟橋経由で八幡に出かけそこで見たものは…。折り重なる車、壁にくっきりと残る津波あと、まだひかない塩水…。砂押川を境に左岸と右岸は別世界になっていた。私は何度も友人の名を叫んだ。幸い友人は無事だった。舟橋にもどり東を見ると大きな煙。JX日鉱日石の火災だなと思ったが、「ああ、燃えている」というだけで他に何の感慨もわかなかった。
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