2011年11月18日金曜日

八幡神社の鎮守の森は瓦礫を止めてくれた②(3月12日13:59)

八幡神社の鎮守の森は瓦礫を止めてくれた①(3月12日13:50~13:53)

うち半分をえぐり取られた宮内の民家(3月12日13:28)

宮内地区では津波は2階まで上がった(3月13日13:16)

津波は宮内地区では2階の床上50㎝。当然1階は天井まであがり、この惨状。アパートの一番奥のドアに「美 連絡/モモエちゃん宅/マサト/マンション」と家族の安否を泥で書きつけてあった」。「ここの人は無事だったんだ」と思わず涙が出た。

中ががらんどうになった工場(3月12日12:53)

これは戦場だ!多賀城の工場地帯の惨状!(3月12日12:47)

13日午後、明月・宮内地区に入った。これまでの被害と次元が違う(12:45)

 12日午後撮影分をまた市役所のパソコンに取り込んで空にし、13日は、水がだいぶひいたので午後から明月・宮内方面にむかった。これまでは電柱が折れているなどということはなかったが…。明らかにこれまでの被害と次元が違う。

津波は市長が工業団地を造りたいという一本柳地区にも(3月12日16:46)

津波は仙石線も乗り越え八幡小学校に(3月12日16:41)

これは車の墓場だ。三陸縦貫道付近から国道45号線西を臨む(3月12日16:31)

三陸縦貫道付近から国道45号線東側を臨む(3月12日16:30)

コジマもジャスコもまだ塩水のなか!町前2丁目(3月12日16:10)

町前2丁目の八幡雨水幹線(3月12日16:09)

 これまでとちょっと景色(被害状況)が変わってきた。海に近いところはやはり被害も大きくなるということか。

国道45号線東側:町前2丁目(3月12日16:00)

まだ国道45号線から東側は依然水がひいていない(3月12日15:57)

国道45号線から県道塩釜亘理線を臨む(市役所からまっすぐ南に来た45号線の交差点)。依然水はひいていない。

応援の長野県の消防隊(3月12日15:48)

市役所でカメラのデータを空にし、また八幡にでかけた。多賀城橋の南側に長野県から応援に入った消防隊が待機していた。この時刻にここにいるということは、夜中に出てきたか!?「長野の救急隊のみなさんありがとう!」。

1階天井まで津波が。昼大代公民館南。(3月12日13:05)

貞山運河の堤防はえぐられ、平屋民家の軒先に車の最後尾がかかっている。津波が天井まで来たことを示している。大代公民館と橋本橋の間。設定の仕方だと思うが70枚でカメラは満杯になってしまった。停電中なのでパソコンにデータを移すことができない。自家発電施設のある市役所に持ち込み、取り込んだうえで私のメモリーに移してもらった。感謝!感謝!

1階天井付近まで津波が達した大代・橋本橋東側のアパート(3月12日12:55)

大代・橋本橋東側のアパート。津波は床上1.7mほど。床上70㎝位まで、JX日鉱日石から流出した重油がごってりと付いている。「一階の人たちは逃げることができたのだろうか」と胸が締め付けられた。

大代地区―産業道路から生協に向かう途中(3月12日12:36)

産業道路から県道七ヶ浜多賀城線にはいった。ここでも車が流され八幡と同じ光景が…。大代飯店のむかい。

津波は左岸堤防を乗り越え鶴ヶ谷を直撃した(3月12日11:42)

津波は、(下流から見て)砂押川が左に蛇行する鶴ヶ谷付近で左岸堤防を乗り越え、住宅地を直撃した。
バイクを置いてしばらく歩いたが、これ以上進むのは困難!多賀城橋にもどり、多賀城中学校、天真小学校、多賀城高校経由で産業道路におり、大代に。

小さな津波は何度もやってきた。(3月12日11:39)

砂押川左岸の鶴ヶ谷付近を、バイクを押しながら歩いている最中、小さな津波が何度もやってきた。不安になったが「もう大きな津波は来ない」と自分に言い聞かせながら取材を続けた。
対岸は地震と津波で崩れた砂押川右岸、桜木2丁目の堤防。

2011年11月17日木曜日

崩壊した鶴ヶ谷地区の砂押川左岸堤防(3月12日11:33)

 マックスバリューからUターンし、砂押川の左岸堤防に入った。地震により堤防はズタズタ!

買い物で長者の列。鶴ヶ谷マックスバリュー(3月12日11:23)

八幡4丁目(国道45号線の東側)まだ塩水がひいていない(3月12日11:07)

国道45号線から東(八幡4丁目)に目を転じるとまだ塩水がひいていない。

非難する住民。国道45号線多賀城橋南付近(3月12日11:06)

被災者が続々と避難してくる。塩水がひいたので外へ出られるようになったのだろう。

救助にあたる自衛隊員。国道45号線多賀城橋南付近(3月12日11:08)

堤防づたいに45号線にでた。多賀城橋付近に救急車が待機していて次々に被災者が運ばれてくる。抱えられているのは若い男性だが衰弱しているようだ。

大村武平さんの無事を確認!健気に頑張る椿に思わずシャッター…(3月12日10:40~10:56)

「沖の井」から八幡3丁目の大村武平先生(歯科医)宅に向かった。12日、最初に訪れ声をかけたが反応がなかった。無事か?鎮守橋のふもとの大村さん宅はまだ水が引いておらず、宅地西側の流れ込んだ乗用車の屋根から塀を越え宅地に。突然現れた私に「あーっビックリした。どこから入ったの?」。「云々…」。大村先生宅は床上90㎝くらい。庭には流入した瓦礫が散乱していた。あとで水を届けることを約束し退去。 
 ふと見上げたら椿が咲いている。「津波なんかに負けるな!私も頑張っている!」と激励されているような気がした。津波で汚れた部分と汚れていない部分わかります?

舟橋から名所「沖の井」に(3月12日10:13~10:29)

 友人の安否を確認したのち、舟橋から砂押川右岸の堤防を東にむかった。対岸のロジュマン方面を見たら津波の跡が堤防にくっきり。「津波があと数十センチ高かったら左岸も…」とぞっとした。末の松山を過ぎ、沖の井へ。多賀城の名所もこの惨状!

多賀城八幡の友人の安否を尋ねて見たものは…(3月12日9:00~10:00)

3月12日、真っ暗闇の夜が明けた。冷たいご飯を食べ、バイクで友人の安否確認に。昨夜のみぞれがウソのように晴れあがっていた。舟橋経由で八幡に出かけそこで見たものは…。折り重なる車、壁にくっきりと残る津波あと、まだひかない塩水…。砂押川を境に左岸と右岸は別世界になっていた。私は何度も友人の名を叫んだ。幸い友人は無事だった。舟橋にもどり東を見ると大きな煙。JX日鉱日石の火災だなと思ったが、「ああ、燃えている」というだけで他に何の感慨もわかなかった。